2011年7月20日水曜日

働くとはなんぞや!?【折居】

テック、りぃぽんに続いて、わたくし折居こと、越後の鬼人が、「働くとはなんぞや」について、ちょっと語らせて頂きます。

「なんでお前の哲学を聞く必要があるねん!」とツッコミたくなる気持ちは分かります。
しかし、これって凄く大事なことです。
実は就職活動のキモになる考えですよね。
有名な質問に「志望動機」がありますが、
それって「御社のこの部分が魅力」とか「御社でこういうことがやりたい」だけじゃなくて、
「私は仕事に対して〇〇という価値観を持っています。御社のビジネスにも〇〇という価値観があり、共感しました。ぜひ私の力を御社で活用し、自身の夢を叶えようと考えてます」とか、超かっこよくないですか? 笑
というより、個人的には、それが会社選びの基本なような気がします。

とはいえ、かく言う私も、このことについてしっかり考えたのは、就職活動後期になってからのことです。今思えば、やはり就活初期の応答はグダグダだったなあ・・・

今回の連載(?)記事を読んでくれた皆さんが、自分なりの就職観を形に出来れば、我々はハッピーです。そのお手伝いになればいいなと思います。



御存知の方もいるかと思いますが、私は農業ヲタクで、
私の夢は、日本農業を活性化することです。

そんな私に質問したい方もいらっしゃるでしょう、
「なぜ農家にならなかったか?」

実は高校受験と大学受験時に、大変悩んだ項目です。
当時は、親の「進学は可能性の幅を広げること、大学出てから考えろ」という意見を鵜呑みにし、そのまま筑波大学へと駒を進めました。

そして大学院の二年次となり、ついに、就職という壁にぶち当たります。
これまで後回しにしてきた決断のときが来たのです。

もちろん、農家になりたいという願望はあったので、就農した若者の先例を調べたり、農業スキルを身に付けるためのステップとして、農業法人への就職を考えました。
農家になったらなったで、パイオニアとして、日本農業にインパクトを与える事が出来るかもしれませんからね。

しかし、なぜかしっくり来ない。

そこに、私の「働くとは何ぞや」がありました。

農家として名を馳せるのは自己の業績であり、自己のメリットの集合体です。
(誤解を招かないように言いますが、周囲を巻き込んで、地方、もしくは農業界全体を盛り上げている個人の農家さんもいらっしゃいます。私自身、何人か見たことがあります。)

しかし、流通や法整備、もしくは指導員のような、「仕組みそのもの」を変えたり、「仕組み」を作り上げる人(私は仕組人と呼んでいます。)は、農業に携わる全ての人に関わることが出来る。自分だけでなく、業界のメリットを生み出せる。

私は、そんな人間、つまり仕組人になりたい。

そして、実は上記の「仕組人」の話は、私の「働くとは何ぞや」ともイコールなんです。

私はなぜ仕事をする(働く)のか?
それは働く事が自身の「楽しみ」の一つだからです。

では、その楽しみとは何か?
私の楽しみとは「折居という人間を他人に認識されること」なのです。

「働く」という自身の行為で他人が1mmでも良い方向へと動く。
すると、その人の記憶に「折居」という人間が認識される。

それが私の喜びであり、働くということなのです。
「他人による折居の認識」が私の生きがいなのです。
つまり、私にとって「働くこと」は、「楽しみ」と同等な「贅沢なこと」なのです。

そして、どうせ人々の記憶に残るなら、でっかいことをして、多くの人の笑顔の一部になったほうが良いですよね。
じゃあ農家じゃなくて“仕組人”だよね!!って感じに収束します。

なんか最後は子供じみてきました 笑

要約すると、
「働くこと」=「楽しく生きること」=「折居という人間を、プラスの意味で認知してもらうこと」なんですね。

いかがでしょうか?
何だか私の思考を赤裸々に語ってしまいましたが、こんなところです。

「もっと聞きたい」「意味わかんねえよ」って方は、ぜひ就活カフェにいらして下さいね。

それでは、皆さんの「働くとはなんぞや」が形になることを祈っています!

折居

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